花岡パトリオット
故郷花岡を愛する社会人、仮ピーの、折り紙、遊戯王、音楽、アニメ、漫画などの趣味を紹介していくブログです。 同じ趣味を持つ方々との繋がりを増やしていくことが一番の目的です。 どうぞごゆっくり。
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佳人薄命。天才数学者ラマヌジャン
「天才」っていうのはこういう人のことを言うんだろうな。
イケメンすぎワロタ
1887年、ラマヌジャンは南インドの極貧階級の家庭に生まれた天才数学者。

幼少の頃より母親から徹底したヒンドゥー教の宗教教育を受け、学業は幼い頃から非常に優秀で、数学にも強い関心を寄せていた。






奨学金を得て大学に入学したが、数学に没頭するあまり授業に出席しなくなり、奨学金を打ち切られて退学に追い込まれた。

そんな凝り性のラマヌジャンは、しばらく独学で数学の研究を続けていたが、やがて港湾事務所の事務員の職を得、そこでは上司の理解に恵まれ、仕事はさっさと終えて、職場で専ら数学の研究に没頭した。

その後、周囲の勧めもあって、1913年、イギリスのヒル教授、ベイカー教授、ボブソン教授に研究成果を記した手紙を出す。

しかし手紙は黙殺された。

なんでも、当時の教授たちは、世界中の数学マニアから寄せられる、大問題を解いたナンセンスな一人自慢論文に迷惑していたため、それと間違えられたのではないか、とのこと。

しかしケンブリッジ大学のG.H.ハーディは、ラマヌジャンの手紙を読み、最初は「狂人のたわごと」程度にしからなかったものの、やがてその内容に驚愕した。


というのも、ラマヌジャンの成果には明らかに間違っているものや既知のものもあるが、
中には「この分野の権威である自分でも真偽を判定できない」ものもあるし、
自分の未発表の成果と同じものすらも含まれていたからであった。


ラマヌジャンは、本当に不思議な香りのする数式をいくつも発見した。

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上の数式は、無理数であるπを、同じく無理数である√2や√5で表現した数式。

無限和を取っているけど、すさまじい速度で収束を見せる無限和として有名なんだそうだ。

ちなみに仮ピーは、今ほど
「記事の背景青にしなきゃよかった」
と思ったことはない。


そしてこちらもπに関する数式。
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確かに、これは一目見ただけでは「狂人のたわごと」。

しかしちゃんと証明までされているのだ。

素人には証明なんてとんでもない数式なんだけど、素人目にもわかるはずだ。

「単なる複雑な数式」なのではなく、
漂うのはそう、「不思議な香り」。







そんな不思議な香りと、そのた数学マニア達の自己満足論文をかぎ分けたできる男、それがケンブリッジ大学のG.H.ハーディだったのだ。


ハーディにケンブリッジ大学へ招かれたラマヌジャンは、1914年に渡英する。

このとき、ラマヌジャンは27歳という若さ


しかし、大学で系統的な数学教育を受けなかったため、彼は「証明」という概念を持っておらず
得た「定理」に関して、「寝ている間にナマギーリ女神が教えてくれた」というような、彼なりの理由付けをするに留まっていた。

明確な証明を付けなかったことで、ラマヌジャンの業績は理解されにくいものとなった。

ここでラマヌジャンに「いや、そこはちゃんと証明しろよ」と言わなかったのがハーディ教授。

共同研究を行っていた彼は、彼の直感性を損ねることを恐れて証明を押し付けることは避けたのだった。

ラマヌジャンが26歳までに発見した定理に関して、その後多くの数学者の協力で証明が行われたが、その作業が完了したのは1997年だった。

渡英前のノートに記された公式群は、既に知られていたものも多かったが、連分数や代数的級数などに関しては新しい発見があった。

未解決の定理も存在していたが、それらも後の数学者たちの努力によって証明される。






ラマヌジャンは敬虔なヒンドゥー教徒であり厳格な菜食主義者だった。

第一次世界大戦下のイギリスはドイツによる通商破壊もあり、菜食主義者の食材は確保が困難だった。

ラマヌジャンは身体的な衰弱を来たし、イギリスでの生活に馴染むことができず、やがて病いを得てインドに帰国、1920年に病死した。

33歳という若さだった。

彼はその短い生涯の間に3254個の数学の公式を発見した。





佳人薄命とはまさにこのこと。

「天才」という言葉は、「ろくに努力もせずに才能だけで成功した」っていうニュアンスを感じるので俺はあまり好きな言葉じゃないんだけど、ラマヌジャンには努力では決してつかめないような独創性があったんだと思う。


ラマヌジャンにはこんな逸話が残っている。


1918年2月ごろ、ラマヌジャンは療養所に入っており、見舞いに来たハーディは次のようなことを言った。

「乗ってきたタクシーのナンバーは1729だった。さして特徴のない、つまらない数字だったよ」

これを聞いたラマヌジャンは、すぐさま次のように言った。

「そんなことはありません。とても興味深い数字です。それは2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数です」

確かに、1729は次のように表すことができる

1729 = 12³ + 1³ = 10³ + 9³

すなわち、1729が
A = B³ + C³ = D³ + E³
という形で表すことのできる数 A のうち最小のものであることを、ラマヌジャンは即座に指摘したのである。
このような数Aのことをこの逸話から「タクシー数」と呼ばれるようになった。

てかこんなのすぐに思いつくとかラマヌジャンェ……。

これは、ラマヌジャンがあらゆる数に興味を持ち、数に対する探究心が高かったことを物語っている。

この逸話は、ラマヌジャンの計算能力が高かったというような意味合いで語られることがあるが、実際は、様々な研究をしていたラマヌジャンは以前からこれを知っていて、それを思い出したのであろう。


ちなみにこの逸話には続きがあり、
ハーディが「四乗数で、これと同様に最小のものがなにか」を尋ねた所、
ラマヌジャンは少し考えた後「あると思うが大きすぎて分からない」と答えたという。

この直感は当たっており、実際、四乗数はそれより何桁も大きい数であった。
635318657 = 134⁴ + 133⁴ = 158⁴ + 59⁴

ラマヌジャンェ……。

あんたの頭どうなってんねん。



証明さえされてしまえば「確かに」、という定理も、
「何故ラマヌジャンがそのような着想に至ったのか」
については未だに謎が多く、そこには未知の数学的鉱脈が眠っている可能性があるようだ。
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