花岡パトリオット
故郷花岡を愛する社会人、仮ピーの、折り紙、遊戯王、音楽、アニメ、漫画などの趣味を紹介していくブログです。 同じ趣味を持つ方々との繋がりを増やしていくことが一番の目的です。 どうぞごゆっくり。
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【夢日記】夢の中に登場する「自分」は、本当に「自分」なのか
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「昔、こういう夢見たなー」って思う夢を見た。
でもその夢、夢の中の俺は知ってるかもしれないけど俺は知らないぞ。

一体どういうことだ

夢の中の俺が、夢の中の俺にとって、「昔見た夢」の内容を思い出したときの「懐かしさ」が、遠くて一年前くらいかな?
だったら当時俺は夢日記付けている時期だし、いつ見た夢かわからないなんてことはない。
(全部が全部つけているわけではないけども覚えている以上は日記付けてきたしなぁ)


さて、何がそんなに腑に落ちないかというと、実際にその夢を現実世界で見たのか、それとも夢の中の俺が記憶として持っていただけなのかは別の問題にしても、夢の中の俺と現実の俺が異なる記憶を持っているのはおかしな話だと思わないか。
確かに今まで現実の俺とは異なる思考や行動をする俺が夢に登場したことはあるけど、「深く考えすぎていないだけ」という説明で夢の中の俺が俺である説明になる程度のものだったのに。


現実の俺は「Aという夢を見ていない」。
夢の中の俺は「Aという夢を見たことがある」。
そして夢の中の俺はある光景を見て、「夢で見たような光景だ」という感想を持ったが、現実の俺はそうは思うことはないだろう。

しかしあまりにも「夢で見たような光景だ」という感想が強いと、「もしかして俺はあの夢を実際に見たことがあるのでは?」と思えてきてしまう。

そしてさらに困ったことに、「『Aという夢を見たことがある』記憶を持った俺が登場する夢」の記憶が時間と共に薄れていけばいくほど、その判別は難しくなっていく。

夢の中の自分と現実の自分が、異なる経験を持っていることがあるのだろうか。
そうだとしたら彼は俺とは別の人生を送っていても不思議ではない。



ちなみに夢の中で俺が覚えていた夢は、


花岡で誰かの葬式に参列する俺(名前も知らない人物。顔は覚えてないな……。男だったのは間違いない。たぶん実在しない人だと思う)。
夕方、あたり一帯が夕日で真っ赤に染まるころ、退屈した俺は葬式の会場から抜け出し公園まで散歩に出かける。
公園に着いた頃、真っ赤な西日と東の空の夕闇が公園の真上で混ざり合って、少し星も出ていた。
公園は俺一人ではなく、凧揚げをする少年が一人だけいた。
たぶん小学生ですらない。5歳かそこらだと思う。
彼は暗くなろうという頃に凧を揚げて一人で遊んでいた。
俺は公園の柵越しにぼんやりと少年が挙げる凧の様子を見ていた。
凧は現実では飛ばないくらいの高さ(見えなくなるくらい)まで揚がっていた。
「凧ってあんなに揚がるんだなぁ」
と俺はつぶやくと、少年が凧を自慢したくてたまらない、というような感じでこちらをチラチラみながら紐をどんどん伸ばしていく。



と、いう感じだ。
そして夢の中の俺は、夕暮れの空を見ながらこの夢を思い出していた。
凧と少年の存在が印象が強い夢だが、きれいな空の様子を重ねていたらしい。


はて、この凧少年の夢、現実の俺も見ていたんだろうか?

わかんねぇなぁ。


というか、時系列外れるけど夢の中で夢を見てるってだけでも結構レアだよね。

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